史料集『川中家文書」

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『川中家文書』

川中家文書

川中家文書は今米村の庄屋川中家の所蔵になるもので、大阪府公文書館に寄贈されている。本書は川中家のご了解のもと、大阪府公文書館から複写をいただき、日下古文書研究会で翻刻したものである。

 

文書群

文書群には、村絵図・検地帳・人別帳・村明細帳・年貢免状・年貢皆済目録・五人組改帳・村入用帳・触書・願書など村方文書としての形式を調えており、その他に『浪花騒動落着記』として大塩の乱の翌年に行われた賞罰を記録したものと、『漂流人異話』としてアメリカ彦蔵たち一七人が乗った栄力丸の遭難記録があり、興味深いものとなっている。

また川中家に伝わる河内扇について、喜里川村の庄屋中西多豆伎の手になる『河内扇之記』がある。古代からの大和川に関する歴史を書き起こし、大和川付替え事業に尽くした川中家の先祖を顕彰するものとなっている。

 

今米村の概要

河内国河内郡今米村(現東大阪市今米)は河内郡の西寄りを流れる恩知川の西にあり、東で吉田川(川中新田)、西で吉原村、北で加納村、南で松原村と接している。この地域は河内平野のほぼ中心にあたり、太古は大阪湾に深く入りこむ内海であった。やがて上町台地北端の天満砂堆の発達によって河内湖となり、さらに流れ込む淀川や大和川の土砂によって陸化した。

近世以前の河内平野は、南から流れる大和川と、何本もの支流が深野池と新開池に流れ込む低湿地帯となっていた。宝永元年(1704)の大和川付替えによって水の干上がった何本もの川筋や、深野池、新開池が干拓され、多くの新田が生まれた。この付替えに関して川中家の初代の川中九兵衛の三男である中甚兵衛が尽力したと伝わる。川中家の東を流れる吉田川も川中新田として開発され、その開発に携わったのは九兵衛の孫にあたる五郎平(のち三郎平と改名)であった。そのため川中家には川中新田関係の文書も多数所蔵されている。

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